答19 等高線を図化をする場合、実体視した写真と描いている点(メスマークという)の両方に目の焦点を当て、そのメスマークが樹木や建物の下の地表付近を通っているように進めながら描いています。自動認識等のコンピュータにはできない職人技となっており、地方自治体等が測量の基本としている「公共測量作業規程の準則」等には書きようがなく書かれていません。ただ樹木のない山の等高線を描くのに比べたらもちろん精度は落ちています。
答18 隠岐の島後にある「西村」の図にインセットの形で初めて入りました。今までは20万分の1などの図にあったのですが、位置だけでした。竹島は2万5千分の1の図では西島が2cm四方程度、東島が1.5cm四方程度の小さなものですが、高さが西島で168m、東島で97mあり、地形も複雑です。現地にはもちろん入れず、航空写真撮影もできないことから衛星画像で地形測量されていますが、人工物は表示されていません。 なお左の地理院地図は当初の物ですが、2020年5月6日に地理院地図を見てみたら、島の名前が変更され、注記が追加されていました。
答17 地方自治体等が測量の基本としている「公共測量作業規程の準則」での大縮尺地形図図式及び2万5千分1地形図図式では、海岸線は満潮時、河川の水涯線は平水時とされていますが、実際には航空写真測量では写真に写っている時の線で表示されていることが多くなっています。有明湾みたいに干満の激しいところは現地調査は欠かせませんが。
答16 FMC(Forward Motion Compensation)と呼ばれる装置で、航空機のスピードにあわせシャッタースピード間にカメラのフィルム上で生じるブレの量だけフィルムを前方に動かす装置です。移動量は飛行機のスピード、撮影高度等により異なりますが、0.1mm程度の量です。今では手持ちのカメラでもブレ補正があるのですが、この装置が航空カメラの付いた昭和60年代では画期的な技術でした。
答15 日本一低い山は、徳島市内にある「弁天山」で標高6mです。地図では、徳島市の中心街の西方に、田んぼの真ん中に崖記号で小さな山が描かれています。小説は徳島に母親の看病のため帰ってきて旅行代理店に勤める女性を主人公にしたさだまさし作の「眉山」です。映画は松嶋菜々子が主人公で、阿波踊の大会の最中に、ガン末期の母親と母親のかつての恋人で主人公の父親とがすれ違うように会わせるところが印象的です。なお2014年以降国土地理院の地図に載っている山では、仙台市の日和山が3mと最も低くなっています。
答14 一つは北海道室蘭市の室蘭駅の西約1kmで測量山です。もう一つは東京都小笠原村の弟島南部で測量ヶ岳です。測量山は一等三角点があり、その標高は199.6mで、明治5年道路建設のためこの山に登って測量を行ったことから名づけられた名前だそうです。測量ヶ岳は標高235mで、弟島は面積5.2k㎡の無人島です。また川は、北海道東部の別海町を流れる西別川の左支川の測量川です。長さは10kmほどの小さな川です。 地図は地理院地図から
答13 岐阜県の高山市です。国土地理院の「平成19年全国都道府県市区町村別の面積」によると、高山市が2177.61k㎡で、香川県の1862.28k㎡よりもまた下から2番目の大阪府の1897.67k㎡よりも広くなっています。なお2番目は浜松市の1558.06k㎡、3番目は日光市の1449.83k㎡で、香川県より狭くなっています。
答12 「三角点」です。近鉄大阪線の西青山で下車して青山高原に登る入り口には「青山高原三角点入口」とあり、途中には「三角点⇒」の道標が何箇所かにあります。この地名のところには、二等三角点があり、地域の案内の手作りの看板もあって、そこが「三角点」であることが示されています。山頂ではなく、青山高原の別荘地帯の上で駐車場の脇といったところです。(画像をクリックするとその三角点付近の地理院地図が表示されます) 点名は「勝地村」で北緯34度41分、東経136度17分、標高756mです。 なお私が訪れた時(平成4年ごろ)には設置されていませんでしたが、今は写真のような説明版が設置されています。
青山観光協会のホームページから
←「三角点」という地名
答11 三角点の地図記号です。1.5cmほどの大きさです。国土地理院の地図を購入したら透かして見ましょう。
答10 日本電信電話公社です。通称電電公社、今のNTT、日本電信電話株式会社会社です。当時NTTから、くるっと巻かれた現在の会社のマークを、地図記号にして継承してほしいとの要望はあったそうです。
答9 mapの基はmappaで、本来の意味は「布切れ」です。これが「色どりした布」の意味に転用され、後に「旗」の意味を経て、16世紀以降に「地図」に一般化したそうです。
答8 戦前の5万分の1地図は、主に大正6年に制定された図式に基づいて作成されており、水田も旧陸軍の行軍に際しての障害の程度を表していました。乾田は常時通行でき、水田は水の張ってない時期に通行でき、沼田は常時通行できないことをあらわしていました。戦後もこの表示は昭和30年図式まで引き継がれていましたが、土地改良によってほとんどの水田が乾田化されてきた時期に作成された昭和40年図式で、すべて「田」として乾田の記号に統一されました。
答7 陸図は、東京湾の平均海面を基に高さを決めているほか、海岸線は満潮位の時の線で表しています。海図は陸上部の高さは陸図と同じですが、海岸線は最低水面時(低潮線と呼ばれています)で深さも地域の最低水面からの深さで表しています。船の航行に差し支えないようにとの配慮からです。
答6 日本列島です。昆陽池公園は、伊丹市役所の北西500mほどのところに位置し、広さは27.8haあり、そのうち昆陽池は12.5haを占めています。昆陽池は、奈良時代の名僧行基が築いたため池で、昭和47,48年の公園整備で、池の中に日本列島の形をした島が作られました。島は北海道から九州までしかありませんが、それでも全長250mほどあります。 大阪国際空港を発着する利用する人に、空から楽しんでもらうために作られました。 ヤフー地図から
答5 字形が左傾斜体で、少し左に傾いた字体となっていました。少し懲りすぎだったためか、平成14年以降は地名と同じ直立の書体となりました。公共測量作業規程の準則では、すべて直立体としています。
答4 風車と老人ホームです。代替エネルギーとして設置が増し、遠くからもわかる風力発電用風車、高齢化社会の進展により各地で建設が進められている老人ホームでした。どちらも時代のニーズに対応したものです。
国土地理院のホームページから
答3 さとうきび畑とパイナップル畑です。両方も畑の記号の一種といえます。なお2万5千分の1地形図では、両方とも畑の記号で表されています。 さとうきび畑 パイナップル畑
答2 明治時代の裁判所の前の告示板です。今も掲示板はありますが四角です。紙がたくさん張ってありますが、読む人はいるのでしょうか。
答1 そろばんのタマと軸です。明治時代に記号が作られたのでそろばんですが、今記号を作るとしたら、電卓でしょうか。 それとも丸の中に”サ”の字でしょうか。