答16 スパゲッティです。スパゲッティが皿に盛られた状態から、整理されていない状態に転用されました。反語として構造化又は構造化データがあります。
答15 村上春樹氏の「ノルウェーの森」と「蛍」に出ています。主人公の友達として出てくるところからモデルがいると思われますが、国土地理院には小説に出てくるイメージの人で村上春樹(1949年1月生まれ)と同世代の人にはいないようです。早くノーベル文学賞の受賞をと期待しています。
答14 権之助坂の斜距離、高低差それに高低角をトータルステーションで測量しました。測量は(公益社団法人)日本測量協会の方が行いましたが、タモリ氏も実際に測っていました。タモリ氏等が所属しているホリプロが、東京都目黒区の権之助坂近くにあることからこの坂が取り上げられるのだと思います。なおタモリ氏は坂も好きですが、地図が大変好きだそうです。
答13 「睡蓮の長いまどろみ」です。平成9年に出された小説で、本社が東京で800人弱の社員の会社の技術者が主人公です。信州の穂高町に工場がある会社であると小説の中に説明があるのですが、実在の測量機器メーカーとは一致しませんでした。穂高町は2005年周辺の町村と合併で安曇野市となっています。
答12 ”脳の構造から女性は空間把握が弱いから”と述べられています。ちなみに男が話を聞かないのは一度にひとつのことしかできないからと述べられています。あくまで著者のアラン・ピーズ氏とバーバラ・ピーズ女史の意見です。
答11 日本国際地図学会(現在は日本地図学会)です。学会名簿に載っていた住所は、東京都台東区にある井上ひさし氏の戯曲のみを上演する「こまつ座」の事務所の住所でした。
答10 地図です。歌詞の中には”夕陽が心の地図の上で起こるすべての出来事を照らすよSeventeen's map”とあります。地図が人生の道しるべを示すことを表わしています。
答9 鳥取県東南部の智頭(ちづ)町です。智頭町は人口8,500人ほどで、9割以上が山林で覆われ特に杉が有名です。「日本後紀」(808年)では智頭郡道俣駅(ちづぐんみちまたえき)が記録されており、奈良以前から存在しています。なお智頭町を含む国土地理院の2万5千分の1と5万分の1の地形図も図名は「智頭」です。「智頭特急」なる列車も最近走っています。
答8 「LAT.43°N」(forty-three degrees north latitude)です。北緯43度とは札幌あたりです。歌詞は雪の降るところにいる恋人のことを思うもので、その中には測量関係の言葉はありませんでした。タイトルは北の町をあらわす言葉として使われているものと思われます。
答7 「測量士(原作はフランス語でLesarpenteures)」で、スイスのミッシェル・ステー監督の作品です。その時日本からは、篠田正浩監督の「沈黙」(遠藤周作氏原作)が上映されています。
答6 新田次郎氏の「剱岳点の記」です。主人公の柴崎芳太郎役には浅野忠信氏、妻に宮崎あおいさんなどが出ていました。大変良い映画で、きれいで雄大な北アルプスの風景が印象的でした。ただ案内役の香川照之氏が背負子を背負う時に、重いはずなのに軽々しかったことが少し気になりました。
答5 放映されたのは6月3日でしたので、〇〇は測量、◎◎は巻尺、△△は測リ、です。実際の答えとしては、巻尺を伸ばしながら”この長さじゃ歌丸師匠の人間の大きさは測れない”、”社会保険庁の作った無駄な施設は広すぎますよ”、”笑点の座布団を適当にコピーして中国の遊園地で売るんですよ”など世相を反映した答え等が出ていました。
答4 入口を入ると直ぐのフロアに、0.5m四方のフロアタイル100枚が敷き詰められており、そこには淀川水系全域が縮尺1/20万で表示されています。タイルは同じ滋賀県の信楽焼きで作られており、とても細かくしかもきれいな地図が表示されています。 アクア琵琶のホームページから 手前が大阪湾で、そこに淀川が流れ込んでいます。奥の水色は琵琶湖です。
答3 那須の御用邸近くの5万分の1地図「那須岳」で、図上1.5cmほど離れた大倉山と三倉山という山です。明治42年に出された5万分の1地図とは入れ替わっていましたが、国土地理院が昔の誤りを訂正したものでした。
答2 「メルカトル」です。”地図の歴史は、人々が日記をつけはじめるよりもはやく始まった。”の書き出しで始まり、実際に”海図の父”なる言葉も出てくる小説です。表紙も方位の記号と経緯度が表示されています。
答1 「一分の一」です。ソ連(現在はロシア)のクレムリン宮殿の赤の広場の1分の1の地図を描いて、ソ連(当時)から表彰された日本人を主人公にした話です。この話はもちろん全くのフィクションで、日本が第二次大戦後ソ連等4か国に分割占領されていた時に、主人公である東北人が、その地図の作成後、日本の統一のために活躍する話です。1990年ごろ、講談社の「小説現代」に遅筆の井上氏らしく不定期に連載されていましたが、数年で中断してしまいました。その直後続きをどうするのか聞くことができましたが、”そのうち書きます”と言っていました。残念ながら書くことなく亡くなられてしまいましたが、2011年に未完のまま単行本2冊として出版されました。面白いので、最後がどうなるのか完成してほしかった小説です。