答78 地球儀の形をしていました。安倍首相が掲げる「地球儀俯瞰外交」にちなんでいるそうです。7月30日の読売新聞朝刊に出ていました。外交なら良いのですが、戦争も地球儀俯瞰で行いそうで、心配です。
答77 ”通りすがりの人に聞く”人が多いそうです。「道を聞くなら人?スマホ?」というタイトルで書かれていました。これは地図作成会社のゼンリンが行っている第3回「地図利用実態調査2014」からの引用で、道に迷った時に、スマホでという人は22.3%、通りすがりは21.0%とあまり差がないのですが、男性ではそれが23.9%と16.8%に、女性では20.7%と25.2%と差が出ることからこの記事になっています。ゼンリンのホームページで実態調査を詳細に見ると、10代では46.9%と12.1%、60代では4.5%と31.9%で年代別の傾向や、西日本では通りすがりの方が多いとの地域的傾向を都道府県単位に出しているなど細かな調査が行われていました。
答76 写真のようにたらいに水を張って、手作りの水平を見る装置を浮かべ、それを水の上で回すことにより、周辺の同じ高さのところがが見えるようになる簡易的な装置で、水準器と言っていました。6月1日と7月13日の2回放映されました。NTVのホームページから
答75 江戸切絵図です。下地は黄色で、風呂敷一面に、赤坂青野製菓の本店のある赤坂周辺が描かれています。松平〇〇守などの武家屋敷のほか、個人名も書かれており、今でいう住宅地図の趣で、赤坂らしさの中に、上品さを表したデザインとなっています。きな粉いっぱいのおもちで、赤坂見附の駅のそばの小さい売店で売っていました。赤坂青野製菓のホームページから
答74 伊能忠敬等が作成した”大日本沿海與地図 東北”です。東京上野にある東京国立博物館で、重要文化財に指定されている中図の8枚のうち4枚の原図の展示が8月17日まで行われていました。1枚は縦約231cm、横約162cmの大きさです。
答73 国土地理院の2万5千分の1地形図のような地図を机に広げて、捜査にあたっている刑事が複数の犯行現場を指して、推理している場面があり、結構長く地形図が映っていましたがましたが、これを言っているものと思われます。単なる出典明示で”美術協力”と書かれている感じでした。
答72 銀行員です。当時の横浜正金銀行、後の東京銀行から今の東京三菱UFJ銀行で、定年まで勤め上げたそうです。新田次郎の小説では中ごろにですが、陸地測量部の第4班の忘年会の時に、たまたま隣の部屋で飲んでいた小島烏水が、「9月でしたね、陸地測量部の入り口であなたにお会いしたのは」と声をかけ、柴崎が剱岳に下見に行った話を交わしていることが書かれています。この場面が映画の始まりとなっていました。 なお「剱岳点の記」は、日本アカデミー賞の最優秀監督賞、最優秀助演男優賞、撮影賞などを獲得しましたが、この映画は監督がカメラマン出身だけあって、私には北アルプスなどの風景が大変素晴らしいことが印象的でした。
答71 日本地図です。「巨大木製日本地図」と呼ばれています。これはそれぞれの都道府県の形がパズルのピースのようになっており、ピースはその都道府県の木で作られているとのことで、総括会議では、最後に作家でありナチュラリストであるCWニコル氏と乃木坂46の西野さんが、愛媛県のピースをはめて日本地図を完成させました。 東京新聞のホームページから
答70 「土地」です。土地を売るためには国土地理院が作成する「調査報告書」が必要である、そのためには〇〇万円の費用が掛かる、などの詐欺事件が発生しているそうです。その後国土地理院のホームページには下図の”詐欺にご注意”が出るようになりました。
答69 静岡県函南町にあり、東海道本線函南駅の南西に位置しています。昭和15年に当時の帝国議会で可決された東京下関を結ぶ「新幹線計画」に基づき、新丹那隧道が掘削されていましたが、昭和18年1月に戦争で中断されるまで、そこに工事関係者が多数居住していたからだそうです。 地理院地図から
答68 ピッチャーマウンドのセンター側には、写真のように北海道が、2012年から札幌ドームに限らずホームゲーム全試合で描かれています。ライン引きに使う白い石灰を振り掛けて造っているそうで、大きさは縦約110cm×横約80cmです。北方領土まで描かれています。 日本ハムファイターズのホームページから
答67 「ちづかマップ」です。第1巻は2010年、第2巻は2012年に出ています。主人公の鹿子木千束(かのこぎちづか)16歳が、好奇心のおもむくままに、江戸、明治、大正または昭和の地図を片手に街を散策して再発見しているコミックです。その中で、10年前の10歳の時に母に連れられバスに乗って訪ねていた「真砂町のあおいちゃん」に会うために、ちづかが大正時代の地図を基に、今は住居表示や合併でなくなった東京都本郷区真砂町を探しあて、またその時に「あおいちゃん」と偶然再会できた話が印象的でした。これは第1巻です。なお地図は「ちず」で、「ちづか」とは違いますが。
2016年2月27日、この作品で、衿沢世衣子さんは日本地図学会学会賞の作品・出版賞を受賞しました。
答66 東京駅開通時の大正3年近くの東京駅を中心とした地図が敷き詰められています。実際には大正3年より少し前の明治42年測量で43年発行の1万分の1地形図(図名は日本橋)で、かなり拡大して表しています。 ここで通行人を観察していても、床の地図を見る人は残念ながらほとんどいませんでした。
答65 伊能忠敬で佐原です。佐原は今は香取市になっていますが、新聞では佐原となっていました。新聞の2面には、伊能忠敬大河ドラマ化推進協議会の事務局長の伊能敏雄さんの談話が載っていましたが、伊能忠敬の子孫のかたでしょうか。なお東京都江東区役所も、伊能忠敬の江戸での住居があった関係から大河ドラマ化のため推進運動を行っており、平成25年ごろですが、区役所の中にはそのためのコーナーがあり、のぼりも立っていました。
答64 「斜陽」などで有名な太宰治です。「地図」は大正14年に発表されましたが、太宰が16歳の時の作品です。「地図」は、江戸時代初期、琉球国の王が5年もかけてやっと石垣島を征服したが、祝勝に訪れたオランダ人から送られた世界地図には、石垣島はおろか琉球も書かれていなかったことに対してむなしく感じるお話です。文庫本で10ページほどの短編ですが、16歳でよく書けたと感心します。この文庫本には初期の作品である26編の短編が載っていますが、「地図」がその代表作として表紙も飾っており、琉球が描かれていない世界地図と、怒った王がオランダ人の首を切ったところが描かれています。