答33 地中海の東部、トルコの南の海上に位置する「キプロス共和国」の国旗です。黄色い部分がキプロス島すなわち国の形となっています。下の緑はオリーブの枝で、平和を象徴していますが、ギリシャ系とトルコ系に実質分裂しており、北部は現在北キプロス・トルコ共和国とトルコのみ承認している国家となっています。そのためその地域では別の旗が使用されています。
答32 葛飾北斎(1760~1849)が江戸末期の嘉永元年(1840)に描いた測量風景の図です。この図は検地のための測量風景を描いたものですが、梵天(長い竹や棒の先に、厚い和紙や白布を取り付けたもの)や間棹(けんざおと読み、日本で検地の際に用いられた長さを測るための竹製の竿)、小方儀(羅針盤に視準器を付けたもの)などを使って作業をしている光景は当時の測量の実態を伝えており、伊能忠敬の測量の様子もこれに近かったと考えられます。なおこの右上に書かれている浮世絵の題は「じかたそくりょうのず」と読みます。
答31 当たり前すぎますが、東京メトロと都営地下鉄の地下鉄路線図です。 東京メトロのホームページから
答30 日曜夜7時から日本テレビ系で放映されている「ザ!鉄腕!DASH!」です。2000年6月からこの企画が始まり、順調に開拓が行われていましたが、2011年3月の福島第一原発の影響で立ち入り禁止区域となってしまいました。福島県浪江町にあったためです。残念ながら国土地理院の地図に”DASH村”の地名は載らないで実質この企画は終了してしまいました。「ザ!鉄腕!DASH!」の番組は今も長寿番組として続いており、ヘドロの海であるDASH海岸をよみがえらせようとか、無人島であるDASH島開拓とかの企画が行われています。
答29 図の右にあるのは尾張屋清七版の江戸切絵図の「外桜田永田町絵図」の一部です。この絵図など江戸切絵図を江戸時代末期製造販売していたのが、当時麹町にあった近吾堂で、同じく麹町にあった尾張屋が、150年前工夫を凝らし改良し、大ベストセラーにしたからだそうです。 昭文社のホームページから
答28 ”世界”です。児童養護施設を舞台に、小学校三年生が主人公で、それぞれ事情を抱える子供たちの痛みや葛藤、そして成長を描いた作品です。タイトルが示すように、子供たちが世界とどう結びついていくのか、どんな未来地図の下書きを描くのかという話です。宮崎駿作品を手掛けるスタジオジブリの近藤勝也氏の書かれた表紙と挿絵も評判です。
答27 生誕250年を記念して出されました。1745年1月11日今の千葉県九十九里町小関で、名主小関五郎左衛門家で生まれました。
答26 万物をのせている輿(こし)の意味で、地球、大地、全世界をあらわしています。
答25 生まれた国のベルギーと、後に移住したドイツで記念切手が2012年に発行されました。
左(上)はドイツの記念切手、右(下)はベルギーの記念切手
答24 中島みゆきの「地上の星」のメロディーで始まる「プロジェクトX~挑戦者たち~」です。基本となる地図データを実際に現地を歩いて収集している状況が放映されました。
答23 その支店にいる10人ほどの現地調査員の日程と区域割の仕事です。郊外と街中での各人の業務の密度の均衡化、単に図郭で区切るのではなく調査しやすい様な地域割り、変化の多そうなところを後に持ってきて、できるだけ最新のものにしていく、などを上司、現地作業者とコミュニケーションをとって進めていく内容でした。
答22 約10億円かかり、そのうち幕府は約2億円援助したそうです。この問題は2013年6月22日の日本テレビ系列で放映された「世界一受けたい授業」の中で流された問題です。費用としてはその程度とは思えるのですが、ほとんど伊能忠敬が負担したこととそれができたことに驚きです。
答21 千葉県九十九里町です。伊能忠敬の生まれた九十九里町小関の生家跡に伊能忠敬生誕250年を記念して平成7年に設置されました。広さは約1,600㎡です。九十九里町のホームページから
答20 原付バイクのオリジナルナンバーに伊能忠敬のシルエットの入ったものが取り入れられるようになりました。一般のナンバーの右端に、伊能忠敬の測量のため歩いている図のシルエットがある図柄です。香取市のWebサイトによると、このナンバーは、香取市のイメージにふさわしいとして公募で決まったもので、作品の作者は、”自分の足で歩き続けた彼が、今日の庶民の足であるスクーターのナンバーとなって走るのは粋ではないか”とコメントしています。香取市のホームページから
答19 高萩出身の長久保赤水です。彼の作った「改正日本輿地路程全図」は、「赤水図」とも呼ばれ、縮尺約130万分の一で北海道は描かれていないが、出版された地図としては初めて経緯度線が描かれています。「伊能図」が江戸幕府に厳重に管理されていたこともあり、江戸時代後期この地図が一般に広く使われていました。なお三英傑の他の二人は、徳川家康の信任が厚く、初代水戸藩主の付家老となった中山信吉、明治初め東京大学植物学教室の2代目教授で、小石川植物園初代園長となった松村任三です。高萩市のホームページから
答18 ①1801年に日本地図を作成していた伊能忠敬等が岩手県釜石市唐丹町に来て測量を行ったことから、その業績を顕彰して、1814年に当時そこに住んでいた天文暦学者の葛西晶丕(まさひろ)氏によって「測量の碑」が建立されていることと、②2001年に、その測量200年を記念して、同じ唐丹町大石漁港に「伊能忠敬海上引縄測量の碑」が建立されていることの2件が載っています。これらは、写真入りで載っていますが、国土交通省の地方整備局関係のホームページで、伊能忠敬を取り上げているのはここだけだと思います。東日本大震災後も載っていましたので、壊れなかったものと思われます。 左(上)は「測量の碑」、右(下)は「伊能忠敬海上引縄測量の碑」